さめないすーぷ

香辛料について


●香辛料貿易
マルクで採れたクローブは、船でカリカットのような港町とスリランカを経由して、インドの市場で取引された[17]。そこから、アラビアの港に向かって貿易品は出荷された。ペルシャ湾のホルムズ王国(en:Ormus)や紅海のジェッダ、稀に東アフリカまで、葬儀を含めた様々な用途のために用いられた[17]。アッバース朝は、インドや中国との貿易たのめ、アレクサンドリア、ディムヤート、アデン、シーラーフを通開港として用いた[18]。インドから港湾都市のアデンにやってきた商人達は、交易品の麝香、樟脳、龍涎香、ビャクダンをイブン・ジヤド(イエメンのサルタン)に税として貢納した[18]。
インドの香辛料輸出については、Ibn Khurdadhbeh (850)、al-Ghafiqi (1150)、Ishak bin Imaran (907)、Al Kalkashandi (14世紀)などの著書で言及されている[17]。インドを旅した中国人の三蔵法師は、「商人達は遠い国へ出発する」とプリーの町について言及している[19]。
アラビアからの陸上交易路は、地中海沿岸に通じていた。8世紀から15世紀にかけて、ヴェネツィア共和国他イタリア海洋都市国家がヨーロッパと中東の貿易を独占した。絹と香辛料貿易(香辛料、香、ハーブ、ドラッグ、アヘン)で、これら地中海の都市国家は驚異的な繁栄を成し遂げた。香辛料は中世に医療品として需要があり、高価な商品であった。これらはアジアとアフリカからの輸入に限られた。ヴェネツィア商人は、陸路と海路を結ぶ重要な交易地点から他のヨーロッパ人を締め出し、ヨーロッパ中に貿易品を流通させた。この体制はオスマン帝国の台頭で、1453年にコンスタンティノープルが陥落するまで続いた(コンスタンティノープルの陥落)。

Wikipedia「香辛料貿易」より