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スープ料理によく使われる食材:牛乳について


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日本書紀』に「牛酒」と言う記述が見られる為、弥生時代より飲用されていた可能性がある。一般には、560年(欽明天皇21年)に百済の智聡が、日本に来た際に持ってきた医薬書に、搾乳などについての記述があり、これによって広まったとされる。
その後、奈良時代聖武天皇が肉食の禁を出したことで、以降は仏教の普及とともに、次第に牛乳を飲む風習は薄れていったとされる[3]。中世、うつけと呼ばれた少年時代の織田信長が、「実際に牛になるかどうか試す」と言って飲んだことを除けば、人々の間で飲用された痕跡はなく、江戸時代末期に来日した、タウンゼント・ハリスが所望した時も、「あんなものを飲んでいるから、獣のように毛深いのだ」と噂したほどである。
ただし、徳川吉宗は乳牛の輸入を行っており、以来、薬として僅かばかり使用されていた様子である(ただし、当初は馬の薬として用いられ、人間の為の薬ではなかったと言う説もある)。徳川家斉は、『白牛酪考』と言う本を作らせているが、この本には、腎虚労咳、産後の衰弱、大便の閉塞、老衰から来る各種症状に効く、と言う効能が書かれている。
文久年間(1861年 - 1864年)に、横浜で本格的な牛乳の国内生産が始まり、その後次第に、広大な原野を持つ北海道に拠点が移され、1875年(明治8年)には、当時の北海道開拓庁において、国産第一号の欧米ヨーロッパ風チーズが試作された。北海道で大規模な酪農による、牛乳の生産が行われるようになり、戦後には、アメリカの救援食料である脱脂粉乳による、学校給食への導入などによって、食生活の欧米化により広く飲まれる様になった。
日本における生乳の生産量は、年間約820 - 840万トン(うち、市乳向けは400万トン弱)で、約4割が北海道で生産されている。近年は、少子化による学校給食用牛乳の消費減少や、消費者の牛乳離れ等により消費が低迷、2006年(平成18年)には、北海道で1000トンが廃棄される事態も発生し、問題視された。この牛乳離れを食い止めるとともに、特に若年層の牛乳需要の拡大を図る為、2005年(平成17年)より、中央酪農会議が「牛乳に相談だ。」キャンペーンを実施している。
Wikipedia「牛乳」より