さめないすーぷ

香辛料について


●香辛料貿易
東南アジアのヒンドゥー教や仏教の支配者層は、多額の資金を投資するなど、経済活動や貿易品の消費者として結びつくようになった。このことは、地元の有力者や職人、貿易活動の振興といった地域経済の利益に繋がっていったと考えられる[32]。仏教の教えは海上貿易や貨幣制度の広がり、芸術や教養と平行して伝わっていった[33]。イスラム教は東方へ広がっていき、10世紀には東南アジアへ到達したが、これにはイスラム教徒の貿易商が重要な役割を演じていた[31]。フランシスコ・ザビエルのようなキリスト教宣教師は、東洋へのキリスト教の布教に貿易を役立たせた[31]。また、キリスト教は、モルッカ諸島で信仰されていたイスラム教と競い合ったが、香辛料諸島の人々は容易に両方の宗教を取り込んだ[34]。
ポルトガル植民地には、香辛料貿易に関わるグジャラート人商人、南インドのチェティ人、シリア人キリスト教徒、福建省の中国人、さらにアデンのアラブ人など貿易商達の集落が見られた[35]。インドや、後に中国から、神話や言語および文化が東南アジアに取り入れられた[4]。ポルトガル語の知識は、貿易関係の商取引に必要不可欠なものとなった[36]。
香辛料貿易に関わったインドの商人は、東南アジアにインド料理を運び込んだ。それは今日、マレーシアやインドネシアで、スパイシー料理やカレーとして人気となっている[37]。
ヨーロッパ人はインド人と結婚し、パンの製法[注釈 2]など役立つ調理法をインドに広めた[38]。ポルトガル人もまた酢をインドに広めた。そして、フランシスコ会の修道士達は、ココナッツヤシから酢を製造した[39]。インド料理はヨーロッパの食卓にも見られるようになっていった。1811年までにはイギリスで食べられるようになり、これは社会の上位層、インド料理に興味を持ったり、インドから帰国した人に提供された[40]。

Wikipedia「香辛料貿易」より