さめないすーぷ

スープによく使われる食材:豚肉について


一方薩摩でも、かごしま黒豚の豚肉を用いた薩摩料理が発達した。1827年(文政10年)の佐藤信淵著『経済要録』には、薩摩藩の江戸邸では豚を飼育し、それによって取れた豚肉を町で売っていたという記録が為されている。また、江戸ではももんじ屋などで食べられた。1845年(弘化2年)5月2日の書簡によれば、江戸幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜は、島津斉彬から父・徳川斉昭宛てに豚肉が送られていたという。そのせいか、彼は豚肉を好んで食べており、下々の者たちから「豚一様」と呼ばれていた。「豚一様」とは、「豚肉がお好きな一橋様」の略称である。西郷隆盛も脂身のたっぷりついた豚肉料理が大好物だったという。新選組西本願寺駐屯時に、松本良順の勧めで神戸から子豚を持ち込んで養豚し、食べていた。豚の解体は京都木屋町の医者・南部精一の弟子に依頼していた。福澤諭吉著『西洋衣食住』には、大坂にあった緒方洪庵適塾にて学ぶ塾生たちも豚を食べていたとの記録がなされている。
明治維新以後は日本全土で豚肉が一般に食べられるようになり、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にもそのことに関する記述が見られる。特に関東大震災後の関東地方ではにわかに養豚ブームが起き、豚肉の供給量が増え安価になったため、庶民たちにも比較的手の届くものとなった。関東を中心とする多くの地方で「肉」と言えば豚肉のことを指すようにもなった。なお、近畿地方で「肉」と言えば牛肉のことを指し、豚肉は「豚」と呼ばれる事が多い。従って近畿では、豚肉などを使った中華まんのことを「肉まん」とは呼ばず「豚まん」と呼ぶ。

Wikipedia「豚肉」より