さめないすーぷ

香辛料について


●唐辛子
日本への伝来は、1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮に献上したとの記録がある(以下を参照)が諸説ある。南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられた。
唐辛子の日本への伝来を具体的に記した文献は、江戸時代後期の農政学者・佐藤信淵(のぶひろ)の『草木六部耕種法』(1829) である。その著の中で「蕃椒は最初南亜墨利加(南アメリカ)州の東海浜なる伯亜見国(ブラジルの事と思われる)より生じたるものにして、天文十一年波繭杜瓦爾(ポルトガル)人初めて豊後国に来航し南瓜の種子と共に国主大友宗鱗に献ぜり。」と記している。しかし、天文11年(1542年)には種子島にも豊後国にも来航した記録はない。大友義鎮(よししげ、出家後に宗麟〔そうりん〕と称す)が父の義鑑(よしあき)の死後、国主を継いだのは、天文19年(1550年)であり、また、宣教師バルタザール・ガーゴ(ノルウェー語版)神父ら一行がザビエルに代わって中国の上川島(中国語版)(シャンチュアン、広東のすぐ近くの島)から種子島経由豊後に向かったのは、天文21年(1552年)との記録がある[9]ことから、天文11年は21年の誤記である。

Wikipedia「唐辛子」より