さめないすーぷ

キャンベルズは1869年に青果商のジョセフ・A・キャンベルとアイスボックスメーカーのエイブラハム・アンダーソンの手によって設立された。設立当初の社名は「ジョセフ・A・キャンベル保存加工会社」と呼ばれ、缶・瓶詰めのトマト、野菜、ゼリー、スープ、薬味や挽肉を製造・販売していた。
1896年になる頃、アンダーソンは共同事業を退き、新会社「ジョセフ・キャンベル株式会社」を再建・組織するために最初の会社をあとにした。1897年、新しいキャンベル社の協力者となる、ジョン・T・ドーランス博士が、週給僅か7ドル50セントの賃金で働き始めた。マサチューセッツ工科大学とドイツのゲッティンゲン大学で学位を取得する程の才能に溢れる化学者であったドーランスは、最も割合の大きい材料である水の量を半分に減らすことにより、スープを濃縮する商業的に実現可能な製法を開発した。
世紀が20世紀へと変わる頃、当時アメリカの食生活においてスープは必需食料品ではなかったが、ヨーロッパではよく食べられていたものであった。しかし、ドーランスの開発した濃縮スープは、1缶10セントという手ごろな値段とその利便性がすぐに大衆の間で大人気となった。1900年にはパリ万国博覧会にこの濃縮スープ缶製品が出品され、現在もまだそのラベルに描かれているゴールドメダルを受賞したのである。
1898年、キャンベルズの重役の一人であったハーバートン・ウィリアムズが、自身も参加していたコーネル大学アメリカン・フットボールチームで使用されていたユニフォームの爽やかな色彩に感化され、赤と白のラベルデザイン案の採用を打診した。この案が採用となり、その紅白の色合いと1900年のパリ万国博覧会で獲得したゴールドメダルが描かれた缶のレイアウトは、今日までほとんど変わっていない。
キャンベル・スープ社は起業当時以来、広告に多額の投資をしており、その販売推進キャンペーンに使用されたものの多くはアメリカの収集用広告市場でも価値のあるものとなっている。最もよく知られているものは「キャンベル・キッズ」スープシリーズの広告のようである。また野菜ジュースである「V8」が発売された当初、アメリカ合衆国第40代大統領のロナルド・レーガン大統領が宣伝用ポスターなどのスポークスマンを務めた。1968年には、1960年代に流行していたペーパードレスにスープ缶が描かれた「スーパー(Souper)ドレス」を、スープ缶を2缶購入した消費者に1ドルで提供した。キャンベルズ製品のメニューブックや、料理本シリーズである「ヘルプ・フォー・ザ・ホステス」もまた製作されている。現代人の味覚には確かに変わった感じがするが、最も長く親しまれているレシピの一つには、トマトスープ・ケーキの作り方などがある。また、1916年に出版された「ヘルプ・フォー・ザ・ホステス」の中でキャセロール料理のつなぎとして手作りしたクリームソースの代わりに濃縮クリームスープの缶詰を使うことが提案され、北米の家庭料理から手作りのクリームソースが駆逐されるきっかけとなった。1949年には「"Easy Ways to Good Meals"(簡単にできる美味しい食事)」というレシピ小冊子の中でスープの缶詰を2、3種類混ぜ合わせて新しい味を作り出す提案をしているが、缶詰のスープを混ぜ合わせること自体は1930年代にすでに行われており、キャンベル・スープ社の発案ではない。
収集用広告に加え、同社は著名な商業用公演施設も所有している。主なものに、以前はアメリカ人俳優のオーソン・ウェルズがニューヨークに設立したマーキュリー劇場という名称であった、キャンベル・プレイハウスがある。キャンベルズは1938年の12月に、劇場が運営するラジオ劇場番組のスポンサーとして引き継いでいる。
Wikipediaキャンベル・スープ・カンパニー」より